あまやどり人生録

嫌なことから逃げ続けている、とある人生の慨嘆。

ただ

強制されないと何事も後回しに後回しにしてしまい、

だからと言って後回しにした時間に何かするかと言われたら何もしない。

そんな日々を歩んでおります。

 

こんにちは、はやひらです。

 

忙しい時ほどあれがしたい、これがしたいと思うものですが、

いざ自由と言われると何をしたらいいのかわからなくなりますよね。

「何もしない」をいっぱいしたい。そんな人生。

 

さて、昨日は学会に参加して参りました。

勿論、自発的にではなく「強制」されて、です。

 

ここだけの話、どうやら学生の参加人数が芳しくなかったようで偽客として召喚された模様。

 

学会のテーマは興味のあるものだったので別にいいか、とは思っていたのですが

実際に聞いて見ると「新たに研究して分かったこと」の発表会であり、

「基礎知識を得ている前提」であったことから全くのチンプンカンプンでした。

そういえば前回参加した学会もそんな感じでしたね。

 

尤も、「発表」なんていうのは「みんなが知らない」から行うのであって、

周知されていることを自分で培うべきなのはそれこそ周知されているはずです。不覚でした。羞恥。

 

朝8時半から受付があり、学会発表は18時半まで。

そこから懇親会が21時まであるとのことでした。

強制召喚されて何時間の拘束だよ、と思ったことは言うまでもありません。

 

加えて参加の強制を言い渡されたのは直前であり、

そのためにアルバイトのシフトを交代してもらったくらいです。

 

因みにその後学会についての連絡は殆どなく、前日の夜にスーツでの参加を言い渡されたのみで、

全く勝手がわかりませんでした。

 

あれだけ「ホウレンソウ」を徹底しろと言う割に、

学生や部下など目下へは蔑ろにしがちだな、と思いました。

学会参加なんて殆ど経験が無いんですよ、考えてもわかりません。

 

閑話休題

 

さて、学会の内容を書いても面白くないでしょうし、

なんなら殆ど理解していないので書けないため割愛します。

 

今回私が書きたい内容は「ただ」ということです。

 

お昼の時間になりました。

来場された先生方は事前に予約した方のみお弁当を購入できるそうです。

なるほど。ということでお昼を買いに行きました。

 

そこから2時間ほど休憩があったのですがその終わり掛けのことです。

 

「お弁当余ってるから貰っていいよ」

 

そう先生に言われました。

今回の学会の開催が私の通っている学校であったことから、

参加した学生に余った弁当をくれてやるとのことです。

 

あー、予約したけど参加出来なかった先生の分とかかな。

「予約した方のみ」ということを耳にしていた私はそう思いました。

否、そう思うことが自然であり、せいぜい余りは2〜3個くらいだと思います。でしょう?

なので私はお昼も買って食べたし別にいいかなと思っていたのです。

 

ところがどっこい。

余っていたお弁当はダンボール2箱分。

 

いや、事前に予約して貰ってたんちゃうんかい、と。

何のための予約やねん、と。

 

結果、参加した学生が

お昼ご飯を実費叩いて食べ終えた後に

半ば強制的にお弁当を2つずつ受け取る結果となりました。

 

タイミングを考えてくれ、と。

せめて予め「余るかもしれない」と言ってくださればこちらだって

それをお昼に食べて、夜にもう1回食べて今日のうちに消費出来たのに、と。

 

お昼を食べた後にお弁当2つも食べられませんよ。

 

更に、夜に予定されていた「懇親会」なるもの。

こちらも「席が余っている」とのことで、

4000円程の食べ物を食べられるから来ないかと言われたのですが、

こっちはお弁当を2つも受け取っているんです。

知らない先生方ばかりの空間で、たとえ4000円の料理が無料と言われても参加する気にはなれません。

肩身が狭い中食べるご飯が美味しいはずがないのです。

500円しないお弁当を2つ食べてる方が、ましです。

 

社交辞令も存在しない立場のため、丁重にお断りして、帰宅。

家には誰もいませんでした。

 

「ただ」で頂いたお弁当を広げ、ただただ無心で頬張ります。

 

絶妙に美味しくないお弁当。

サニーレタスの上に半月切りされたオレンジが載せられ、

そのオレンジを敷くようにソースを掛けられたミンチカツが載っています。

 

何故このようなお弁当というものは半月切りしたオレンジをバランのように扱うのでしょうか。

しかもわざわざ脂物の、です。

食べさせる気が感じられません。

 

そして私は油にまみれたオレンジやサニーレタス、ブロッコリー、それから脂身の少ないサバの切り身など1/3ほどを残しました。

 

基本的に滅多に食べ物を残さない私ですが、

「ただ」で「半ば強引に押し付けられた」お弁当の具を半分近く残して、そして棄てました。

 

「無料」というのはそれと同時にその「価値」を失うようです。

 

棄てられた食べ物に罪はありません。

仮にこのお弁当をお金を払って食べていたらきっと完食していたことでしょう。

 

思えば、実習でレオパレスに住んだ際も、

光熱費が家賃に含まれていたため、空調は付けっ放し、

お風呂は湯槽にお湯を張らなかったため、シャワーを流しっぱなしで温まっていました。

 

「ただ」というのはそのものへの価値を欠き、

そのものを大切にすることを忘れさせるようです。

 

時代の変化か、生産者も消費者も安値に誘導され、

ゲームは「実質無料」が蔓延っています。

 

「課金したら負け」と言う大人がいますが、

実質無料という「お試し」に対して課金をし、楽しんでる人たちは、

従来の据え置き機や持ち運び式のハードやソフトを買って行うゲームの楽しみ方と何ら変わりないように思います。

 

ただ違うのはその際限が無いために加減をしないとソフトを購入するゲームより圧倒的に高価になってしまう点です。

折り合いをつければ課金することは「負け」でもなんでもありません。

 

寧ろ、無課金のために消費した「時間」を失うことの方が「負け」な場面が多いのでは無いかと思います。

 

数ある実質無料のアプリケーションゲームの中で自分が楽しめるものに対して課金することは負けでもなんでも無いと思います。

 

何に対しても「ただ」というのは

その代償となるものが付き纏うものだと思います。

 

「ただより高いものはない」とはよく言ったものです。

 

 

 

 

ちなみに、僕以外の家族は焼肉を食べに行っていました。ちきしょう。

 

 

「人の金で焼肉が食べたい」

「人の金で食う焼肉は美味い」

 

巷ではそう言われていますが、

私はきっと、ちゃんと自分でお金を払って

味わって食べた方が美味しく感じると思います。

 

 

ただ、ふと「ただ」について考えた日でした。以上。